私の次女が発病したのは二年前の五歳の時です。


私の次女が発病したのは二年前の五歳の時です。
私たち家族は主人の仕事の赴任でタイに6年間駐在していました。
そして、二年前の3月に本帰国となり主人を残し私と子供たち三人は先に帰国しました。
次女はタイ駐在中にバンコクで出産しました。
時々一時帰国する間に日本が冬の時は決まってアトピ−性皮膚炎の症状が出てしまい、「生まれた場所が違うから合わないのかな-」なんていっていたものです。

発病したのは帰国した年のゴ-ルデンウィ-クを目の前にした4月末です。
主人が帰らないままの帰国でしたので、土曜日から日曜にかけて車で30〜40分のところにある主人の実家へ遊びに連れて行っていたときのことです。
たまたま長女が風邪気味だったので、夜熱を測ろうとしたところその時まだ保育園生だった次女が「私も測って」とせがむものですからしょうが無いと思いながらも測ってあげればあきらめもつくだろうと測定したところ、風邪気味のはずの長女より次女の方が熱があり、それも元気なのに38.5度もありびっくりしました。
「え?嘘でしょ?この体温計壊れてるのかな?」なんて体温計を疑った程です。
しかし、他の体温計で測っても同じで、風邪でもひいたかな?とその日はそのまま休んだのですが、次の日になってどうやら首が痛いという次女。
風邪のせいで喉が痛いのか、それとも寝違えたかな?などと軽く考えていたのです。
しかし、その日の夕方になるにつれ首の痛みがひどくなるようで熱も解熱剤ではなかなか下がらないので、夕方主人の実家近くの総合病院へ連れて行きました。
偶々日曜日だったため小児科の先生が不在で内科の先生の診察になりました。
そこでは「風邪でしょう」という診断に至り薬をもらって帰りました。
しかし、次の日になって娘の首の痛みがピ−クに達する前日家の近くの小児科にかかりました。
しかし、そこでも様子を見ましょうということでした。
しかし、入院当日痛みはピ-クに達し、見ている私でも絶えられなくなり、前日かかった小児科医院に電話でうかがったところ、「大至急市民病院へ行ってください」ということで診断書を病院の方へ送っていただき
その日のうちに入院ということになりました。
入院しても川崎病と診断されるまでには二日ほどかかりました。
なぜそんなに時間が?・・・。入院して薬〔抗生物質か何か?」を飲んでいる間に首の痛みが少し楽になったのか熱は相変わらず高いのに本人が元気にしているから先生たちも始めはそこまで疑わなかったみたいです。
熱が高く出るため発熱後二日くらいたつと大体の子供はぐったりするということで、私の娘は発熱から4日、入院する時点でも熱と首の痛み以外は元気で笑っていられるくらいだったので川崎病と断定するまでに少し慎重になられたようです。
それともう一つは次女はバンコクで出産していて、国が違うばかりに注射を打つ場所も少し違ったりしていて、川崎病と断定する唯一の証拠となるBCGの注射跡が、バンコクでは生まれて1〜2日目くらいに足のかかとに打たれるため、かかとは皮膚が硬いので赤くはれているのかどうかということが確認できなかったということのようです。

入院して3日目になって熱の下がる傾向がないことと、血液検査の結果から川崎病ではないかということ3になり、そのための治療が必要であるということで話がありました。
よくわからない病気でしたので、「完治しますか?」と聞いたところ「完治はしません」というドクタ−の返事に一瞬目の前が真っ暗になり、考えてはいけないことですが、「死」という言葉が頭をよぎりました。
そして、ガンマ-グロブリンを打つ治療に入るということになり親の承諾が必要ということでしたが、主人は
まだ赴任中で緊急帰国も出来ないということで、主人の母に承認になってもらい治療を開始することになりました。
一番そばにいてほしいこんな時になぜ帰国が出来ないの!!子供が危ない時に!!」と私の胸のうちはそこまでして仕事の方を選ぶ主人にちょっと怒る気持ちを覚えました。

治療に当たっては薬の後遺症(大きなものではありませんが)も説明され、ちょっぴり判断が鈍りました。
でも、その時説明をしてくれた担当の女性ドクタ-の「もし自分の子供だったらこの治療を真っ先に受けさせます」という確信の一言に「すぐにはじめてもらおう」という決心が出来ました。
治療が始ってからの経過は良好をたどり、ガンマ-グロブリンは3日間その後バウンドがあるかもしれないといわれていた熱のバウンドもなく順調に熱も下がり、真っ赤になって解けそうだった目も舌の症状も徐々に良くなり、5月末には退院が出来ました。
入院中は担当の先生も、看護婦さんも皆さん良くして下さりベッドの上の子供の良き遊び相手、話相手となってくだり、とても感謝しています。
幸い大きな後遺症も残らず、退院して丁度丸2年が過ぎました。
このペ-ジに投稿されている他の方の経験を見させていただいて、娘は本当に周りの環境すべてに守られていたように感じます。
娘が入園した保育園も家から数分のところですが、障害児なども受け入れている保育園で、その年の秋にあった運動会でもドクタ-の診断の元経過良好ということで参加することが出来ました。
また、学校へ入学して夏のプ-ルでも問題はないという事でクラスメイトと楽しいプ-ルの授業を受けることが出来、経過良好のまま今に至っています。
ここまで良好をたどったのはやはり早期発見と、早期治療の末の結果ではないかということを実感しています。そして確かな病院・確かな判断と早期治療は大事だということもつくづく実感しました。

この春ようやく検査が年一回で良いというまでになりました。
そして、その直後主人が再びバンコクへ赴任が決まりました。
なんとなく、この時期を待っていたかのように・・・。
一年に一回検査のための帰国が認められ、家族同伴で再びタイへ行くことになりました。
あの時「完治はしません」といわれた一言がまだ心に刻まれ、熱を出したりお腹が痛かったりすると関連して心配になりますが、このまま健康で成長してくれることを祈りながら頑張っていきたいと思います。
同じ川崎病のお子様を持つご家族の方とお子様の回復も重ねて祈らずにはいられません。
心より良好で回復される事を心よりお祈りいたしております。