「担当医の循環器部長も驚いた、三度目の川崎病」


「担当医の循環器部長も驚いた、三度目の川崎病」
 我が家の長男は二歳で一回目の川崎病にかかりました。町医者で風邪だろうと言うことで「とりあえず座薬の解熱剤と抗生物質」を二日与えられ、熱が下がらず更に抗生物質を変えて・・・そこで母親が変に思い、小児専門の大きな病院へ連れて行きました。
充血、高熱が続き、座薬でも下がらない、指の皮膚がはがれる・・・これは川崎病だと言うことで緊急入院。30日ほどで退院しました。
 四歳で二度目の川崎病、このときも別の近所の町医者で風邪と判断されて、同じく座薬の解熱剤と抗生物質」を与えられました。このときもあまりに熱が下がらないので小児病院へ。言うまでもなく川崎病と寸時に診断されて緊急入院です。
 七歳で三度目の川崎病、このときは最初から小児病院へ行きました。このときも医師は躊躇うことなく入院を指示。

 我が家の場合は生みの親の直感が早期発見に結びつき、心臓などの後遺症は少しで済みました。その後は一切町医者に行くことはありません。町医者の殆どは風邪や水疱瘡などのありふれた症例以外は学校で習っただけの知識しかないので目の充血等も見てくれません。重度の後遺症を持つ患者さんの大半は、発見が遅れたりしたのではないでしょうか?全てがそうとは言えないでしょうが。二歳の時、四歳の時、七歳の時、どんどん治療方法も進歩し、点滴が取れるのが早くなりました。

 原因!?我が家は夫婦とも喘息家系で、息子も喘息、アトピーなどダニを中心としてアレルギー反応が出ます。そこら辺の体質がダニなどと絡んでいるのでは?と素人の私は推測しますが・・・

 我が家は小児病院の近くへ引っ越しました。川崎病のフォローのこと、喘息の急患への対応のためです。救急車の到着よりも早く私は自転車や車で病院へ到着します!!!

何が辛かったって・・・格子付きのベッドで、面会が終わる音楽がなると、点滴や心電図の電線をつけた子供が、格子にしがみつき、永久の別れのように親の名を呼ぶのです。
「置いていかないでー。いい子にするからー」
毎日二十時になると親子で号泣でした。面会のため早退も増え、家計も圧迫し、酒量も増え、夫婦の間も暗くなる。死亡率0.1〜0.3%我が子は!?

このようなHPがあること、知りませんでした。結構両親はこもって悪い方に考えてしまうんですよね。病院でこのようなHPがある旨掲示して貰えると、楽になる両親が増えると思うのですが。

ちなみに私の妻も義母も看護婦ですが、こう言ったときは何もできません。ただ、あらゆる神、仏に祈ることと、面会のたびに新しい本や何千円もするキャラクターのおもちゃを持ってゆくこと。おもちゃ代も何万円もかかりました・・・トホホ

老人福祉など、きれい事を言っていないで、もっと難病の原因究明や面会のための収入援助、心臓移植手術の全額公費負担に金を使って欲しい。

ps:クールな看護婦が多いんですね。もっと凄い大病を毎日見ているせいだろうけど、親からしたら、クールすぎるよ。冷血だ。それに引き替え研修で来ていた看護学校の学生さん達、川崎病は研究対象として人気があるらしく、三回とも学生さんが付いてくれました。息子私たち夫婦と共に泣いてくれ、笑ってくれ、息子の親友になってくれ・・・唯一心の支えでした。本当、感謝しています。皆さん立派に日大などに勤め、たまに御手紙を頂きます。マザーテレサのようになってくださいね。