仙台に住む26歳会社員です。(妻26歳、息子11ヶ月)


仙台に住む26歳会社員です。(妻26歳、息子11ヶ月)
おとといから息子が発熱を起こし、妻が小児科に連れて行ったところ川崎病の疑いがあると診断されそのまま国立病院に連れていきました。私は仕事中に連絡を受け、仕事を切り上げそのまま病院に行きました。

「川崎病」 そう妻に言われ、私は愕然としました。

・・・「川崎病」それを聞いて私はすぐに幼稚園のころ近所の友達であった「たかお君」を思い出しました。彼は川崎病にかかり心臓の後遺症で入退院を繰り返していて、そのせいで幼稚園にもちゃんと通えず、近所の友達が少なかった子でした。母親同士が近所付き合いがあり、母に「たかお君は重い病気にかかっていてお友達が少ないから一緒に遊んであげてね」と言われ、彼と遊ぶようになりました。最初は母に言われたから、見たいな感じで一緒に遊んでいましたが、遊ぶ回数が増えるに従って本当の友達になり、私の方から遊びにいくようになりました。発作はめったにでないし(てゆうか発作が出るのを見たことがなかった)激しい外の遊び以外は普通に遊んでいました。
しかし病気が重くなってきたらしく、たかお君は大きい病院に入院しなければならなくなり一緒に遊べなくなりました。大きなきれいな病院にお見舞いにいったことを思い出します。
そのうち親の仕事の都合で私は引っ越してしまい、たかお君とはさよならをしました。


2,3年後でしょうか、母親にたかお君が亡くなったということを言われました。
初めて人の死というものに触れたのがその時でした。

ショックで一人で泣いたことを思い出します。


たかお君と同じ原因不明の病気「川崎病」と息子は診断されました。
先生方のアドバイスや進歩した処置方法を教わり、妻もちょっとは落ち着いた様子でした。
私も話を聞いて、決して怖い病気ではなくなった、ということを認識しました。
これまで日々研究を重ねてきた諸先生方には心より感謝してます。
と同時に息子のいち早い日常復帰を願っております。

ただ愛する妻には不安を与えたくないので私の心の奥にしまってあった「たかお君」との思い出はしばらくしまっておこうと思い
このメールに私の不安な思いを伝えようとしました。

たかお君のお母さんはとてもしっかりされた方で、がんばって自分の子供の将来を開いてあげようと努力していました。
がんばって耐えているのは私たちの息子であって、私たち夫婦はそれを支えていく努力をしなければいけません。
私たちはこれから起こりうる色んなことに耐え、努力し、愛するかけがえのない息子を育てなくてはいけない。

しっかりしろ俺!
がんばっていこうよ!

明日二日目の入院生活で川崎病の処置を始めるそうです。
前向きにがんばっていこうと思います。

雑で長い文章を読んでくれてありがとうございました。