二十歳になりました


私の息子は二歳の時に川崎病に、かかりました。
最初は発熱し病院に連れて行き薬をもらったと思います。でもなかなか熱はさがりませんでした。そのうち体に湿疹のようなものができたと思います。違う病院で診てもらい熱のことなどを話し薬をもらいました。よく覚えていることは、そんなに大変な病気とは思わなかったので、熱が下がった時にデパートに出かけた時のことです。祖母が「この子、やけに唇が赤いよね。」と言った事です。それでも私は気にもかけず「口紅をぬらなくていいね」と笑っていました。それからまた熱が出ました。あまりに熱があがったり、さがったりするので、さすがのわたしも急に不安になり、近くの小児科に連れて行きました。主人が小さいころからある小さな個人病院です。先生もかなりお年の方です。もう夜でしたが、診ていただけるというのですぐに連れて行きました。先生は息子の顔をみるなり「川崎病かもしれんね。すぐに紹介状を書くから大きな病院に行きなさい」と言われました。私は聞いた事もない病名になにがなにやらわからないまま、車で一時間かけて息子を連れていきました。車の中の息子はもう本当に元気がなかったと思います。病院につくなり注射、点滴がはじまり泣き叫ぶ息子を見ていることがつらっかた。なぜ
アんなことになったんだろうか。私の育児がどこかまちがっていたんだろうか、涙をボロボロ流しながら自問自答しました。次の日先生から病名と病状の説明がありました。川崎病に対する知識は全然なかったけれども、後遺症のことや入院が長くなることを聞き、どん底に突き落とされた気持ちになりました。何故自分の子供だけが・・と思いました。
その時わたしは妊娠9ヶ月でした。それから息子に付き添う日々がはじまりました。
熱が高いので食欲もなく御飯をたべてくれないこと。せっかくとれかけていたオムツをまたつけなければいけなくなったこと。私も大きいお腹をかかえての付き添いは、本当に辛かった。いろいろな検査もはじまりました。手の指先の皮がボロボロとはげてきました。その頃には病状も落ち着いてきていたと思います。病院の中を歩きたがるまで元気になったようにみえました。でも怖いのは後遺症です。睡眠薬を飲ませ、心電図の検査をします。私は眠っている息子の顔を見ながら後遺症が残らないことを祈りました。そんな最中、私は同じ病院で二人目の子供を産みました。親子3人が入院していたことになります。入院から四十日後、無事退院する事ができました。退院した後も何回か心電図の検査に行きました。大変な病気をした息子も今年、成人式を迎えます。小学校、中学校、高校、いつも学校の健康カードには「川崎病」のことを記入しました。先生もそれなりに気遣って頂きました。大きくなって川崎病のことが気にならないといえばうそになります。息子はあまり気にしていないようですが、母としては常に頭から離れることはないでしょう。今年、無事に成人式をむかえられることに、感謝します。


「親の会」より一言
川崎病で入院中心臓エコー検査を受けましたか。年代的に微妙な時期に罹っているようですのでもし、心臓エコー検査を受けてなかった場合心臓の検査を早い時期に実施されることをお勧めします。
御質問などありましたら、「親の会」事務局まで (044-977-8451・浅井)