忘れられない・・・・・・・ 2011年11月23日


ウチの息子は四歳1ヶ月で、川崎病になってしまった。不全型があることを入院先の小児科doctorより私の方が先に口にした。もちろん、そんな病気は知らなかった。川崎病かもしれないといわれ、後遺症が残ってから落ち着いて見た資料から私の方が先に口にした。
二人の私より少し若いdoctorは、どちらも知らなかったらしい。地元の○○市立病院小児科に連れて行って、土日になり、42℃近い熱が出ても、勤務時間外だからって一度も電話もなく、もちろん来てもくれず、おまけに月曜日外来が終るまで、ただ抗生物質と生食の点滴。ほったらかしにされた。

治らなかった…。なんで、本社になる大学病院に相談しなかったの?

ものすごい自分たち医者の面子を優先して、わからないまま放置で、先輩や全身の血管の炎症とdoctorは知ってたはずなら、心臓グループに意見を求めなかったの?
後遺症が残ると運動制限がかかることを知ってるはずでしょ小児科の病気で治らなかったら、小児特定慢性疾患になってしまうのを知ってて??、

自信満々で三人治してる。だから仕事に出かけて、大丈夫だからって言ってた体つきのしっかりした先生の方が、真剣に考えてくれてた。
痩せてニヤニヤするdoctorは、心臓エコーが終ると急に、僕らは心臓グループじゃないからよくわからない、と言い出した。。
退院できることを喜んでいる子供に、売店でポケットマネーでポテトチップを買い与え、私には金があるかと聞いてきて。後日…なぜ、謝らないのですか?なぜ、金があるかと聞いてきたのか聞くと、訴えられると思ったからです。だそうだ。。。

そのあと、自分は馬鹿だから山梨医大しか受からなかった。とか、いくら何を叩いてもどうしても、後遺症が残ったことはどうにもならないと。。。

あれから五年経っても忘れない…そして涙…。

私は従兄弟のdoctorの言葉を信じ、風邪のとき東京まで来れるのか?の問いかけで、山梨では山梨医大しかないので転院しなかった。

年長で喘息発作。薬が増えた。アレルギー体質でアトピーも赤ちゃんから外用薬が必要で医者通い。小一で運動制限がかかって、母親がうろうろしているウチの息子が羨ましくて、ますます休み時間の同級生のいびりが激化。
特定の子供がウチのに目をつけて、不条理不公平なその子の言いなりにさせたり、頭のイイコでウチの子だけ無いものを見つけてウチの子を仲間外れにしたり。。。

その特定の子が変わると、ウチの息子も思っていない。

ウチの息子は病気がみんなに分かると余計にいじめられると思っています。余計に仲間外れにされると思っています。

実は小2の五月連休明けから、トイレに施錠して、登校拒否。小1のときから、学校はつまらなく、楽しかった一年生という作文は書けなかった…途中から、先生の字になっていた。苦しかったんだ。

八ヶ月登校拒否のまま。今は、県立病院の院内学級と不登校児対応もする支援学校に転校して、11か月。
まだ対人恐怖は続いている…。出歩かない…。

前籍校にしか転入先がない変な学校。いじめられてたところで、いじめっこと同じ教室で同じ授業なんて絶対嫌!!いられない…。変な規則。違うと思う。