今を去る27年前、次男が川崎病に・・ 2008年8月21日


  今を去る27年前の10月下旬、生後3ケ月の次男が発熱しグッタリ虚脱状態
をていし近所の内科に受診、主治医が不在でインターンの診察結果「風邪だろう」
との診たてで風邪薬を貰って妻は帰ってきました。しかし生後3ケ月は生まれ持つ
免疫力の旺盛な期間であり「風邪はないだろう」との不審な思いでおりました。
その夜あたりから 口内が赤く炎症したような所見、このとき流石に母親、家庭の
医学書をくまなく見開き「もしかしたら手足口病・・・・」などとつぶやいており
ました。
「改善しなければ、明後日来なさい」との指示で1日おいて再診。
受診開口1番「お父さんを直ぐ呼んで下さい」この日は主治医がいて彼の診察結果
駆けつけた私に「高い確率で川崎病の可能性、最悪の事態も想定してください」
 まさに晴天の霹靂、鳩の豆鉄砲!!!!!一昨日の受診で 「風邪ダ!」
 1日おいて「最悪の事態を想定しろ!」文字通り頭の中が真っ白になる思いでし
た。「とにかく最善を尽くします!」の言葉を信じ、すがる思いでした。
ちょっと大きいラグビーボール位の体に即刻点滴のチューブがつながれ動きを封じる
砂袋状のウェイトが手足に載せられました。痛い、苦しいの自己表現も出来ない生
後3ケ月の身、2歳の長男も、仔細判らずも、ただならぬ家族の気配にじっと弟を
見守っておりました。
病状記録等残しておりませんから、データー的な変化は記憶しておりませんが基本
的にはアスピリンの投与が中心の診療だったように記憶しております。
10日位経過し 全身状態(体の動き、表情等)は改善しましたが、血液、髄液の
検査データーが一向に改善しない!ここでこの内科医のホーム医院の大学病院に転院、
ここでの主治医も「多くの臨床例を診てきたが、こんな悪いデーターの児は初めてだ。
このデーター、加えて男の子血管瑠を残す後遺症のリスクが非常に高くなる。ただ
この子の全身状態の良さだけが救いだ!」
そうこうして街も年の瀬模様に変わる頃、データーも落ち着いて退院の運びとなり
ました。
退院前に、血液造影剤を入れて血管の写真を撮る旨の説明がありましたが。「絶対
止めてください」と断りました。
生後3ケ月の子には検査のためとは云え、造影剤はリスクが大きすぎる。
心電図等の所見でも異常は認められず無事退院。後2年程経過観察に通いました。
この入院劇の間、田舎の私の母親に来てもらい、長男の面倒を見てもらい助けても
らいました。
この母が田舎に帰って年明け直後、突然の末期癌を宣告されました。その春4月末
駆けつけた我が家族、とりわけ次男を病床で抱いて「よかった、よかった」と喜び
「疲れてるだろうから、帰って休んで」云われて20分程の実家に着いたら病院から
「危篤です!直ぐきてください!」
病院に戻ると既に気道切開されて意識も無く、穏やかに逝きました。
私は今でも次男の強病を母が背負って逝ってくれたと信じています。
次男は今日まで、この病気に起因するような疾病、障害も無く、好きなデザインの
仕事をしながら親父の感染症にかかり、山歩きを楽しんでおります。